彼と付き合って20年になります。
バイト先のスナックで知り合いました。当時彼は34歳、私は26歳でした。
お互いバツイチで、彼には思春期の息子もいたので「結婚はしない、ずっと一緒にいよう」と言われ、私もそれでいいと思っていました。
その後、私のアパートの部屋で同棲が始まりました。息子は彼の母親に任せっきりで多少の罪悪感はありましたが…。
そうして何年か過ぎ、私もいよいよ30歳になろうという頃、子供が欲しいな、親に孫の顔見せてあげたいな、と考えるようになり、彼にそれとなくその気持ちを伝えてみました。
逆プロポーズするなんて想像すらしていませんでしたが、結果は「結婚はしない、ずっと一緒にいよう」でした。
最初付き合いだした時に言われた時はあまり深く考えていなかったので軽く流せましたが、この時かなりショックを受けました。なんと重い響きなんだろうと。
本当に彼はそう思っていて、変わる事はないんだと気付いて虚しいやら悲しいやら…私は彼の中で一体なんなのだろうと。
それでもその後35歳、40歳と懲りずに同じ事を繰り返して結果は変わらず。
私ももう結婚・出産は諦めるしかないと自分に言い聞かせ、その話題はもうしないと心に決めて日々を過ごしていました。
そうしてまた何年か過ぎ、酒好きだった彼が静脈瘤破裂で吐血して救急車で緊急搬送されました。その時に同居人である私はものすごい不便を感じました。
救急車に乗ってもなかなか出発してもらえません。
理由を聞いたら、「まずはご家族の承諾を」と。
電話しても留守のようで繋がらず、それは後で、という事でようやく病院へ向かいました。
しかし、病院に着いてからも家族でない私は状況説明や面会までかなりの時間待たされました。
結局渋々「内縁」ということで説明や面会させてもらえたのは搬送から3時間後でした。
退院後、淡い期待を胸にその話しましたが、やはり状況は変わりませんでした。
その後、またいつもの日常に戻り生活していました。
結婚も出産も本当に頭から消えていて、家事をし、会社に行き、を繰り返していました。
そして一昨年、今度は彼が末期の大腸がんであると発覚しました。
肺、肝臓に転移していて手術は出来ない、抗がん剤もあまり意味がない、と医者に言われました。
しかし、このままだと腸が破裂してしまうという事で、かなりのリスクはある中、去年人工肛門を造設する手術を受け、なんとか延命措置をしてもらえました。
そこで私は退院間もない彼に、ペアリングが欲しい!とおねだりしました。病気が病気だけに、一緒にいた証が欲しかったからです。
勿論彼にそんな事は言えないので、お揃いの物が何もないから、それに20年一緒にいてこれが夫婦だったらスイートテン2つだよ、と半ばダメもとでお願いしたのですが、驚くほどすんなりOKしてくれました。お互いの名前を刻印して。それだけで私は十分幸せを感じていました。
しばらくすると彼が、もっといい指輪が欲しいと言い出しました。
バイト先のスナックで知り合いました。当時彼は34歳、私は26歳でした。
お互いバツイチで、彼には思春期の息子もいたので「結婚はしない、ずっと一緒にいよう」と言われ、私もそれでいいと思っていました。
その後、私のアパートの部屋で同棲が始まりました。息子は彼の母親に任せっきりで多少の罪悪感はありましたが…。
そうして何年か過ぎ、私もいよいよ30歳になろうという頃、子供が欲しいな、親に孫の顔見せてあげたいな、と考えるようになり、彼にそれとなくその気持ちを伝えてみました。
逆プロポーズするなんて想像すらしていませんでしたが、結果は「結婚はしない、ずっと一緒にいよう」でした。
最初付き合いだした時に言われた時はあまり深く考えていなかったので軽く流せましたが、この時かなりショックを受けました。なんと重い響きなんだろうと。
本当に彼はそう思っていて、変わる事はないんだと気付いて虚しいやら悲しいやら…私は彼の中で一体なんなのだろうと。
それでもその後35歳、40歳と懲りずに同じ事を繰り返して結果は変わらず。
私ももう結婚・出産は諦めるしかないと自分に言い聞かせ、その話題はもうしないと心に決めて日々を過ごしていました。
そうしてまた何年か過ぎ、酒好きだった彼が静脈瘤破裂で吐血して救急車で緊急搬送されました。その時に同居人である私はものすごい不便を感じました。
救急車に乗ってもなかなか出発してもらえません。
理由を聞いたら、「まずはご家族の承諾を」と。
電話しても留守のようで繋がらず、それは後で、という事でようやく病院へ向かいました。
しかし、病院に着いてからも家族でない私は状況説明や面会までかなりの時間待たされました。
結局渋々「内縁」ということで説明や面会させてもらえたのは搬送から3時間後でした。
退院後、淡い期待を胸にその話しましたが、やはり状況は変わりませんでした。
その後、またいつもの日常に戻り生活していました。
結婚も出産も本当に頭から消えていて、家事をし、会社に行き、を繰り返していました。
そして一昨年、今度は彼が末期の大腸がんであると発覚しました。
肺、肝臓に転移していて手術は出来ない、抗がん剤もあまり意味がない、と医者に言われました。
しかし、このままだと腸が破裂してしまうという事で、かなりのリスクはある中、去年人工肛門を造設する手術を受け、なんとか延命措置をしてもらえました。
そこで私は退院間もない彼に、ペアリングが欲しい!とおねだりしました。病気が病気だけに、一緒にいた証が欲しかったからです。
勿論彼にそんな事は言えないので、お揃いの物が何もないから、それに20年一緒にいてこれが夫婦だったらスイートテン2つだよ、と半ばダメもとでお願いしたのですが、驚くほどすんなりOKしてくれました。お互いの名前を刻印して。それだけで私は十分幸せを感じていました。
しばらくすると彼が、もっといい指輪が欲しいと言い出しました。
そこで私は今までとは違う、軽い気持ちで「籍を入れて、結婚指輪買おうよ」と言ってみました。
どうせ返事は変わらない、と思っていたら、「そうだな」と!
耳を疑いました。彼の口からそんな言葉が出るなんて想像もしていなかったので。
私の仕事の関係で、住所は移さず本当に入籍しただけですが、入籍したら彼が以前よりかなり優しくなりました。病気の事も一因とは思いますが。
今までは日用品や食材の買い物くらいしか一緒の外出はなかったのですが、近くにある動物公園に行ったり、週末は実家に連れて行ってくれたり。
先月、大量下血でまた緊急搬送されました。今回は家族で「妻」なので、前回とは違い、いろいろな事が信じられないほどスムーズに進みました。
家族である事がこんなにも重要で大きい事なんだと実感しました。
いろいろ悩んだり悲しんだり諦めたりした20年でしたが、今となっては私たちには必要な時間だったんじゃないかと思います。
本当はもっと早い時期に彼からプロポーズをしてもらって、今頃はお父さん、お母さんになっていたかった、という気持ちもありますが、これもまた人生、ということなのでしょう。
病気を抱えた彼ですから、この先どのくらい「夫婦」として一緒にいられるかわかりません。
今は21年目にして訪れる初めての「結婚記念日」を迎えられるよう一日一日を大切に過ごしていこうと思っています。
(40代後半 こぶたさん)
どうせ返事は変わらない、と思っていたら、「そうだな」と!
耳を疑いました。彼の口からそんな言葉が出るなんて想像もしていなかったので。
私の仕事の関係で、住所は移さず本当に入籍しただけですが、入籍したら彼が以前よりかなり優しくなりました。病気の事も一因とは思いますが。
今までは日用品や食材の買い物くらいしか一緒の外出はなかったのですが、近くにある動物公園に行ったり、週末は実家に連れて行ってくれたり。
先月、大量下血でまた緊急搬送されました。今回は家族で「妻」なので、前回とは違い、いろいろな事が信じられないほどスムーズに進みました。
家族である事がこんなにも重要で大きい事なんだと実感しました。
いろいろ悩んだり悲しんだり諦めたりした20年でしたが、今となっては私たちには必要な時間だったんじゃないかと思います。
本当はもっと早い時期に彼からプロポーズをしてもらって、今頃はお父さん、お母さんになっていたかった、という気持ちもありますが、これもまた人生、ということなのでしょう。
病気を抱えた彼ですから、この先どのくらい「夫婦」として一緒にいられるかわかりません。
今は21年目にして訪れる初めての「結婚記念日」を迎えられるよう一日一日を大切に過ごしていこうと思っています。
(40代後半 こぶたさん)
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